「人はなぜ生きているんだろう。ふとした瞬間に考えてしまう。」
この記事を見ている方も、おそらく一度は考えたことがあるだろう。
今回は「人間の生きる目的」をテーマにした人生観の記事になります。
自分の主観的要素が強い記事になりますので、賛否が分かれるかもしれませんが自分の考えを発信したいと思います。
「生理的に子孫を残す」ということ
「人間も動物である。」このことは間違いなく言えることです。
現在は世界的に人口が増加傾向にあるため、子孫繁栄を意識して生活している人はほとんどいないと思いますが
世界の人口が現在の100分の1とかになると、世界中の人が子孫繁栄を意識するはずです。
例えば人間がパンダの絶滅を阻止するために保護しているように、人間が人間の絶滅を阻止するために保護する時代が来るかもしれません。
日本に限って言えば、現在の出生率は1.45くらいで、男女2人から1.45人しか出生されないことから、日本の人口は年々減少していっています。
(一般的に、男女比は男性が多いこと、出産年齢以下で死亡する女性がいることから、出生率2.07で人口維持とされている。)
かといって、人口が増えれば増えるほどいいと言うわけではなく、人が生きていくためにはどうしても植物・動物を食べていかなければならないため、植物・動物との生活バランスが重要だと思っています。
したがって、人間という生物を絶滅させないためにも、生理的な観点から「子孫を残す」ことが生きる目的だということです。
逆に言えば、「子孫を残す」ことができれば、どんな生き方をしても正解だと思います。(人に迷惑をかけない範囲で)
それでは、「子孫を残す」とはどういうことでしょうか?
私は「子を生み、子を育て、子が孫を生む。」ことが、本来の生理的「子孫を残す」ことだと思います。
子を生むだけでなく、しっかり子を育てあげて、育てた子が孫を生むまでが生きる目的であり、ここまで行けば、次の世代へ交代しているはずで人間の生きる目的を果たしたと言えるのではないでしょうか。
「技術的に子孫を残す」ということ
「人間は考える葦である」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
哲学者パスカルのパンセという本の中での名言です。
初めて聞いた方のためにも意味を説明すると、
「人間は1本の葦のように、自然界で最も弱いものに過ぎない。しかし、尊厳のすべては思考することにあり、深く思考することができる。」
という意味です。
私たちが生きている現代は時代の変遷とともに、さまざまな技術発展によって生活が豊かになりました。
新しい技術の導入が生産力を向上させ経済の発展に繋がるという構図は、石器時代から続く、技術と経済の基本的な関係です。
ここにもう一つの人間の生きる目的である、技術的観点での「子孫を残す」が隠れています。
一般的に資本主義社会である日本で生物的「子孫を残す」ためには、安定した収入(お金)が必要になります。
そのため大多数の人が会社員として会社に勤めています。そこで会社員としての目的である技術的「子孫を残す」が求められます。
(もちろん、会社員でなくても技術的子孫を残すことが求められます。)
会社は利益活動を行っているので、技術が利益に結び付く必要がありますが、利益活動を永続的に続けていくためには技術継承が重要になってきます。
したがって「上司の技術を習得し、部下に技術を継承する。」という技術的に「子孫を残すこと」がもうひとつの人間の生きる目的と感じています。
いかがだったでしょうか。自分も人間として世界に生かしてもらっているので、①子孫を残すこと、②技術を残すことを自分なりに考えて、生きている間に自分に何ができるかを意識してしっかりと人間の生きる目的を果たしたいと思います。
fin
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