私たちは生きていく中で、あれこれ考えながら生きています。
あれは良いこと。これは悪いこと。
あれはやる。これはやらない。
あれは価値がある。これは価値がない。
などなど。生きていく中で様々な分岐点で自分の判断をして「人生の決断」をしています。
今回の記事は「人生の決断」をしっかり行うための「人生のものさし」について書こうと思います。
しかし、日常生活で生きていると自分を見失ってしまうことがあります。
ビジネスマンであれば納得いかないことでも仕事だからしなきゃいけないといった、ビジネスの世界がすべてであると誤解しています。
人はみんな同じように生まれてきてそれぞれの周囲環境によって成長します。
しかし、現代の社会の中で生活してきたために、その社会が前提としている共通のパラダイムに影響されて世界を見ているのです。
パラダイム=科学史、科学哲学上の概念である時代のものの味方・考え方を支配する認識の枠組み
しかし、実際は社会で一般的に言われていること、世間体などがすべて正しいわけではないことが少なくありません。
ひと昔前では当たり前だったことが、現代では当たり前ではなかったりします。
また、逆にひと昔前では当たり前ではなかったことが、現代では当たり前だったりします。
もちろん、未来の社会で一般的に言われていることは今はわかりません。この世の中に「絶対に正しい」ということはないのです。
それでも人生ではさまざまな分岐点で「人生の決断」をしながら、生きていかなければなりません。
自分なりに何が正しいのか。何が価値があるのかについて考え、それなりの答えを出して、それを基準に自分が正しいと思うことを信じて生きていくことになります。そのため「自分の生きていくための拠り所」をしっかり持つ必要があります。この世に生まれてきた以上、本当に自分が後悔しないような生き方の指針をできるだけ自分で考えて示しておくことが重要になるのです。
この「自分の生きていくための拠り所」が今回の記事のタイトルにもある「人生のものさし」という考え方の人生哲学になります。自分が社会に染まって流されてしまわないように生きていくために、このような人生哲学が必要になります。
みなさんご存知の通り、ものさしは尺度を測る道具です。科学的には物事を客観的に測るために、長さならメートル[m]、重さならグラム[g]といったように共通の尺度を決めています。
人生のさまざまなことに関して、それが正しいのか正しくないのか。やっていいことなのかやらないほうかいいことなのか。善いことなのか悪いことなのか。価値のあることなのか。価値のないことなのか。についてしっかり考え、自分が正しいと思うことを判断できる基準となる「ものさし」を自分の中に留めておくことが重要で、つまり「人生のものさし」はみんなと共通の尺度でなくていいものなのです。
現代では情報化社会が進みさまざまな情報が世界を巡っています。そのなかで間違った情報を得たり、他人からちょっとしたことで批判されたり。たくさんの情報が流れているため、その情報に自分の意志が流されてしまうこともあります。しかし、自分の中にしっかりとした「人生のものさし」を持っていればブレない判断ができるようになるのです。他人に言われるがままに行動する人よりも、自分の意志で行動する人の方が魅力的なはずで、「人生のものさし」そのものが、その人の魅力になることもあるでしょう。
自分の中で「人生のものさし」がしっかりしていることで、メリットがたくさんあります。
①他人のものさしで自分の人生を判断しなくなる。
-他人からのさまざまな判断よりも、自分の意志の優先して行動できるようになり、人生が豊かになります。
②自分のものさしで他人の人生を判断しなくなる。
-他人の考えもひとつの考えであると他人の意志を素直に受け入れられるようになり、他人と比べることがなくなります。
「人生のものさし」はどうやって形成していくのでしょう。
当然のことですが、自分の「人生のものさし」を変えられるのは「自分だけ」になります。
もちろん周囲の生活環境、他人の言動など影響されるものはありますが、最終決定権を持っているのは他の誰でもなく「自分」です。
そして「人生のものさし」を形成する最も根本となるものは、自分の人生経験を通じて蓄積された経験になります。
さまざまな本を読むこと、より多くの人と接すること、専門的な知識を習得すること、セミナーに参加することなどたくさんの経験・体験をして観察・洞察し自分の基準を作り上げていく努力が必要なのです。このように自発的に努力して作り上げた「人生のものさし」はそれなりに自信のある価値基準を持って自分が正しいと思うことを信じて生きていれば他人の批判などはそんなに気にする必要はないことでしょう。
一度きりの人生だから、さまざまな経験・体験をして幅広く「人生のものさし」を形成していきたい。
fin
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