こんにちは。こんばんは。じゆうじんです。
僕の活動名である「じゆうじん」は、みなさん予想通り「自由人」からきています。
ということで、今回は「自由」についての記事になります。
自由という言葉を聞いて、みなさんはどのような印象を持っていますか?
・自分の好き勝手にやる。
・束縛や拘束を受けない。
・何をやってもいい。
などのイメージでしょうか。
こんなイメージを抱いて、世の中すべての人が自由を求めています。
しかし、現実は自分の思い通りになることはごくわずかで、不自由を我慢しながら生きています。
人は自由を求めながら、なぜ自由に生きられないのか。
そして、人は自由に生きられないことを何かにつけて理由にしています。
・社会が悪い
・会社が悪い
・学校が悪い
・相手が悪い
・収入が悪い
・家系が悪い
・頭が悪い
などなど。挙げるとキリがありません。
さまざまな理由が挙げられるかもしれませんが、これらは根本的な原因ではありません。
自由になれない原因はただ一つ、「自由」という意味を知らないからです。
Wikipediaでは、「自由」の意味はこのように表現されています。
自由(じゆう)とは他のものから拘束・支配されないで、自己自身の本性に従うこと。
あなたは「自由」の意味を前半の「他のものから拘束・支配されないこと」と捉えていませんでしたか?
今日から改めましょう!実際は後半の「自己自身の本性に従うこと」の方が重要なのです。
小学校の頃、先生から「自由に絵を描きましょう♪」と言われて絵を描いた経験があると思います。
この時の自由の意味を「他のものから拘束・支配されないで絵を描くこと」と捉えていたのであれば間違いです。正解は「自己自身の本性に従って絵を描くこと」です。
したがって、自分の中に描きたい絵がなければ、自由に絵を描くことはできないのです。
人生に置き換えれば、生きたい理想の人生がなければ、自由に生きることはできないのです。
理想の人生を持っていないのに、「自由になりたい」と嘆いている人は間違っています。
もし、理想の人生は持っているけど、自由になれない・理想の人生に近づけないという人はアプローチの仕方が間違っています。
決して難しいことではなく考え方ひとつなので、理想の人生への第一歩であるアプローチについて紹介します。
自由とは「自らを由とすること」
みんな大好き1万円札の福沢諭吉が「FREE」を訳すときに、「自由」という日本語にしたとされています。
福沢諭吉は「FREE」という言葉の概念から、「自らを由とすること=自由」という日本語を導き出したのです。
「自由」を正しく理解するためには「自ら由とすること」を解読する必要があります。
少しずつ解読してみましょう。
「自らを由とすること」
⇩
「自らを良しとすること」
⇩
「自分の選択は正しいとすること」
⇩
「多くの選択肢の中から、自分でよく考えて決断すること」
なんとなく見えてきました。
僕自身の個人的な話になりますが、、、
高校受験の志望校を選ぶ時、親から「お前の人生なんだから、自由に選べ」と言われて、なんとなくで自分の学力に見合った高校を選択してしまった過去があります。
このときの選択が正しかったのか、間違っていたのかは今でもわかりませんが、親の言葉は言い換えれば「お前の人生なんだから、よく考えて決断すること」だったと今なら言えます。
大学時代に就職活動をしていて会社を選ぶ時、親から「お前の人生なんだから、自由に選べ」と言われて、なんとなくで会社を選択してしまいました。
決断した会社を今は退職を考えてたりします。結局、よく考えたつもりになって、よく考えていなかったのです。
どんなに選択肢が多くても、少なくても、他人任せにせず、自分自信がしっかり決断をして後の責任はすべて負う覚悟ができることが本当の自由なのです。
したがって、「自由」とは「選択肢」が多いことではなく、「選択眼」を持つことです。
世の中には世間体、社会的地位、名誉、学歴、家柄、他者の視線など多くのノイズが存在します。ノイズによって決断を乱されることが多々あります。
それらが錯乱している、どんな世の中でも自分自身がしっかり決断をでき、「自らを由とすること」ができる人が「真の自由人」なのです。
「真の自由人」になりたい、「じゆうじん」をよろしくお願いします。
fin
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